花岡理事長インタビュー|私も不妊治療を経験、気持すごくわかります(前編)
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花岡理事長インタビュー|私も不妊治療を経験、気持すごくわかります(前編)

6組に1組が不妊治療を受けると言われる日本。

妊活や不妊治療の現場の医師たちは、どんな想いを持って最前線に立っているのでしょうか。

普段は語られることがない、ドクターのパーソナルストーリー、第四話(前編、後編)は、「はなおかIVFクリニック品川」の花岡 嘉奈子(はなおか・かなこ)理事長です。

自らも39歳の時に体外受精を経験し、患者の気持ちが手に取るようによくわかるようになったという嘉奈子先生。不妊治療を体験した医師として、どのような治療を目指しているのか、本音を伺いました。

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花岡嘉奈子
1993年 東邦大学医学部卒業。1997年〜2003年、東邦大学医療センター産婦人科で生殖医療チームに所属。2003年11月よりキネマアートクリニック理事長を務めながら、夫の花岡正智医師と共に、2008年、「はなおかレディースクリニック」を開業し、院長に就任。2014年には「はなおかIVFクリニック品川」を開業した。

四代続いた家系

──生殖医療に関わるきっかけはなんだったのでしょうか。

私の家は、四代続いた医者の家系でした。父は婦人科と外科をやっていました。学校から帰ると赤ちゃんが産まれているという環境だったのです。

だから、自然と自分も医者になるものだと思っていて、気がついたら医学部を受験していました。

医学部を卒業して研修を受けた後、担当の課を決めるのですが、東邦大学には周産期・生殖医療・婦人科(外科)と3つチームがありました。

当時、東邦大学は生殖医療に力を入れており、その分野を極めている先生のもとで学びたいと思いました。

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大学では毎日のようにたくさん赤ちゃんが生まれていました。

その赤ちゃんの元である卵子からお世話ができる生殖医療は、とてもやりがいのある分野だと感じました。

後にも詳しくお話ししますが、私は子どもを持つ母でもあります。いくらケンカをしてもやっぱりかわいいし、いてよかったなと感じています。

ですから、子どもが欲しいと思う患者さんには、どうにか一緒に頑張っていきたいと思います。ある患者さんが、こんなことを言ってくれました。

「今まで何を見ても、何をしてもモノクロの世界だったのが、子どもができて目の前の世界がカラーになりました」と。

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こんな風に思ってくれる仕事に携わることができ、とてもありがたく思います。それと同時にモノクロに見えている人がまだまだたくさんいらっしゃるということも感じ、より仕事に気合が入りました。

不妊治療は限界に挑戦する世界。そこに全ての技術、知識、経験を投じるのは緊張しますが、やりがいも感じますね。

夫をパートナーにするまで

──医大を出て、クリニックを開くまではどんな道のりだったのでしょう

もともと、ずっと大学病院にいるつもりでした。しかし、大学は組織。新しい薬を使うにはいろいろ手続きが必要で、とても時間がかかります。

海外で使用が許可されている薬でもすぐに使えないので、年齢という時間制限がある患者さんにとってはとても歯がゆいことでした。

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1997年当時は、個人のクリニックがほぼなかった時代。

それでも、患者さんにとって選択肢を増やすことができるのではないか、ということで3人の医師とクリニックを作りました。

今このクリニックは3人のうちの一人が受け継ぎ、キネマアートクリニックを運営しています。キネマアートが軌道にのったところで、それぞれ独立する方向となり準備を始めました。

予算もあるなかで、物件探しが難航しました。患者さんが仕事帰りで通いやすい駅近を探していましたが、良い場所を見つけるのも時間がかかる。

まずは不妊だけではなく婦人科全般を診るクリニック(はなおかレディースクリニック)を作って、できるだけの範囲で不妊治療を開始しました。

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それと並行して高度医療までできるクリニック作りの準備を始めました。
夫で医師の正智さんはもともと腫瘍分野に進む予定でしたが、遺伝に興味があるということに気がついたのです。

私が夫に「生殖分野って面白いよ」と言い続けていたのが功を奏したのか、勉強してみるとその奥深さに目覚めたようでした。

正智さんは先輩のクリニックで生殖医療の経験を積み、技術を習得。そのタイミングでちょうど高度医療のクリニック(はなおかIVFクリニック品川)が出来上がました。

夫を仕事のパートナーになるように、そっと仕向けたのはありますね(笑)

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二人目を体外受精で出産

──お子さんがいるとのことですが、不妊治療も体験されたと。

35歳で妊娠、36歳で初めての子が生まれました。二人目は40歳での出産でした。一人目は結婚から半年くらいで妊娠。

その後、子どもが一歳くらいの頃にクリニックを立ち上げ、毎日必死だったので、二人目を考えたのは上の子が3歳くらい、私が39歳の時でした。

自分の患者さんたちが自分より年齢が下になっていく中で、自分も限界を考えていましたし、二人目をいつ妊娠しようかと思っていました。

一年ほど妊娠するよう努力をしたのですが、結果が出なかったので、先輩のクリニックでAMH(アンチ・ミューラリアン・ホルモン)を測定しました。

まだその頃は、どのクリニックでもAMHが測れる時代ではありませんでした。これは、卵巣予備能力、つまり妊娠するために必要な卵子がどのくらい残っているのかを知る検査です。

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すると、先輩が言いにくそうに「AMHがねえ、ちょっと...」と言われたのです。なんとその数値が0.7ng/mlほどまで下がっていたのです。

注釈:1ng/mlより低くなると、卵巣予備能力が45歳以上相当の状態になっているため、妊娠はかなり厳しくなります。

それで、急きょ高度医療を始めました。私の場合は運の良かった症例になりますが、2回目の体外受精で二人目を授かりました。ただ、その頃は非常にイライラしたものです。

一人目がいると、更に欲が出てもう一人欲しくなるものなんですね。二人目ができないかもしれないと思うと、モヤモヤ、イライラしました。

夫は、励ますしかできないので、「大丈夫だよ、できるよ」と言ってくれたのですが、余裕がない私は「そんな何の根拠もないこと言わないで」と険悪な雰囲気になることもありました。

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神頼みしかなくて、何回も神社にお参りしました。

実はここで初めて、患者さん達がどういう気持ちで生活し、クリニックに通ってきているのかということが手に取るようにわかりました。

不妊治療の過程において、自分で自分にホルモン注射を打つことがあります。患者さんには簡単に「こちらをご自分で打ってくださいね」と言っていましたが、自分でお腹に針をさす勇気が出るまで1時間以上もかかりました。

クリニックに通っている患者さんたちは本当に偉いと思います。

患者さんの中に少し愛想が悪い方がいたとしても、その気持ちはとても理解できます。誰にもわかってもらえない苦しみをみんな抱えているんです。

また、どんな時にどういう言葉をかけてもらいたいか、ということもわかりました。

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私は患者さんの妊娠判定で結果が出なかったとき、「勇気づけられたいわけではない。頑張っていこうと言われたくない」という気持ちがわかります。

患者さんの顔色、声のトーンなどを見たりしながら、「この人は勇気づけられたいわけでなくて、一緒に悲しんでほしいんだな」という思いをすごく感じます。

だめだったら次、と切り替える人と、一回の失敗を消化しきれずにひきずってしまう人、いろいろいます。

こちらとしては、励ましたつもりが、患者さんは「こんなに頑張っているのに、まだ頑張らないといけないの?」と思う人もいます。

一遍通りのカウンセリングは通用しない世界。医師もその点は非常に敏感にならなくてはいけない点だと感じますね。

後編に続く──

Grace Bank(グレイスバンク)は、「女性が願うあらゆるライフプランが社会的制約なく叶えられる未来の創出」をミッションに、女性の医学的機能や妊孕性についての啓発活動を行いながら、みなさまに安心してご利用いただける「選択的卵子凍結」のプラットフォームを整備していきます。 ​